生命情報の部分集合が社会情報で、社会情報の部分集合が機械情報の図があります。同じ様に、動物の部分集合に哺乳類があって、哺乳類の部分集合に人間を描くことができます。
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回答 機械情報では意味が欠落しているのではありません。該当する機械情報を扱う人に対して隠されているだけです。 |
解説・説明
まずは定義を正確に把握しましょう。基礎情報学では、機械情報を「社会情報のなかで意味内容が潜在化した(捨象された)もの」と定義しています。“欠落した”とか“消滅している”とはされてはいません。機械情報において意味内容は一時的に隠されている(潜在化されている)だけで、完全に無くなっている訳ではありません。この点をきちんと把握していれば、今回のような質問は出てこないはずなのですが…
釈然としませんがとりあえず説明しておきましょう。機械情報の典型的な例としてデジタル化されたバイナリデータ(二値信号)が上げられます。このデジタル化は数学的な表現の方法の変換に過ぎませんので、意味内容に対しては何の作用も起こしません。デジタル化によって意味内容が消えることありません。仮に、バイナリデータでは意味内容が完全に消えてしまったとしましょう。バイナリデータはアナログ化されて使用されますが、このアナログ化も数学的な表現の方法の変換なので意味内容に対しては何の作用も起こしません。つまり、意味のないバイナリデータをアナログ化しても意味のあるものにはならないのです。さらに、デジタル化されたバイナリデータに意味がなく、かつそれをアナログ化したものに意味があるとするならば、意味は(ありえないですが)アナログ化で生成されたことになってしまいます。この仮設が正しいとすると、意味はアナログ化で生成されることになりますから、ディジタル化にされる際に消えた意味とは別物ということになってしまいます。これでは現実とはかけ離れた結論となってしまいます。
“捨象”という言葉が使われていることから、「捨てる⇒消滅している(欠落している)」と受け取られたのかも知れません。辞書によると、「捨象とは、物事を抽象するとき本質的ではない要素を度外視すること」とありました。要は、「その点は今は考慮しない」ということです。機械情報の場合ですと、「意味はあるけど、今はそれを考慮しない」となるでしょうか。これを逆に捉えると「一時的に意味を考慮しない情報=機械情報」となります。IT機器は意味を考慮しないで情報を送受信していますから、まさしく機械情報を扱っていることなるわけです。それでもご納得されないのでしたら、“捨象”はカッコ付きですので無視して、“潜在化”をご使用下さい。
機械情報は伝播メディアとして物理現象を利用しています。しかも、その物理現象は人間が作り出したものなので、(様々な測定器を経由する必要はあるかも知れませんが)必ず人間の五感で知覚されます。電圧でも電流でも、電磁波でも量子ビットでも同様です。人間の五感で知覚できるのならば、それは間違いなく生命情報です。ということで、機械情報は生命情報に含まれることになります。仮に、人間が全く知覚できない形に情報を変えてしまったら、もうそれは情報とは言えません。だって、情報の存在そのものが分からないのですから。それでも、物理現象がまったくないところに情報があるとすると…それはオカルトでしかありませんね(笑)。
この掲示板の「1.社会情報と機械情報の具体的な境は何ですか?」で説明した通り、社会情報と機械情報の境目は扱う人の主観に左右されます。ある人は機械情報でも別の人には社会情報であるケースは多々存在します。更に同一人物だとしても、通時的に変化することもあります。具体的には勉強の前後です。基礎情報学では意味内容は隠されているだけなので、「勉強によってベールが剥がされた(新しい成果メディアの獲得)」と説明できます。さて、機械情報を社会情報(含む生命情報)から完全に別物とする立場をとった場合、この通時的な変化を合理的かつ論理的に説明することができるでしょうか、是非考えてみて下さい。もし上手く説明できたなら、それは新しい情報学に繋がるかも知れませんよ(ファイト!)。
伝道師は質問者の最大と思える問題点を、質問文の中に見つけました。それは「…に感じます。…」という箇所です。基礎情報学は論理的理論学問なので、感じるものではありません。私達の色々な感じには遺伝的なものや社会的なバイアスなどが掛けられています。それを可能な限り取り払って構築されているのが基礎情報学です。つまり、直感やフィーリングなどではなく、理数系の学問と同様に論理的な理論構築こそが肝心なのです(西垣先生は工学博士!)。伝道師は学生の頃に素粒子理論物理学を専攻していました。素粒子理論(含む量子論)の内容は、一般的な人間の感覚からかけ離れています。感覚とは一致しない理論を、高等数学を使って地道に積み上げてゆくことで成り立っています。つまり、感覚(感じ)は捨象されているのです。「気持ち悪い感覚(感じ)だけどとりあえずそこには目をつぶって、あくまでも理論的に進む」、これが素粒子理論を学ぶ基本的な姿勢でした。基礎情報学を学ぶときにも同じことが言えると思います。つまり、基礎情報学マスターへの近道は感覚を捨象して理論最優で考えることに尽きるでしょう。伝道師には素粒子理論の素養があったので、基礎情報学の理論構成に馴染めたのかも知れません。でも安心して下さい、基礎情報学は素粒子理論よりは格段に優しいので。高等数学は使いませんし、そもそも伝道師は未だに素粒子理論をマスターできていませんから(笑)。